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掌編小説「ホーローの記憶」

更新日:4月26日


フランスアンテイークホーローの記憶をテーマにした掌編小説を書いてみました・・・読んで感想コメントくださいね!!


はじめに・・・

僕たちは、ときどき、記憶の奥のほうで、何かが静かに呼吸しているのを感じる。それは音を立てないけれど、確かにそこにある。何か大切なものを見失わないように、絶え間なく目を覚まし続けている。

古いホーローのキャニスターたちは、その「何か」の象徴だ。サビの浮いた金属、手書きのラベル、使い込まれたその肌には、誰かの時間が染みこんでいる。それは、ひとつの国の歴史というより、むしろ、ある家庭の、ある人生の、小さな物語たちだ。


この短いけれどあたたかなエッセイは、そうした物語の中で、母と娘、そして台所の片隅にある記憶がどのように生きているかを描いている。これを読んで、ひとつのコーヒーポットの前で立ち止まり、じっと耳を澄ませてみてください。

もしあなたにも、なにかを静かに受け継いでいくような記憶があるのなら——この物語は、きっとあなたの中の「なにか」にやさしく触れてくれるでしょう。


掌編小説『ホーローの記憶』作:ラプッピのTOMOMI

子供の頃、台所の一角に整然と並ぶ赤と白のしま模様のキャニスターたちは、私にとって少しも魅力的ではなかった。「またこの古い入れ物……」角に小さなサビがついていたり、フタが少しだけ歪んでいたり、決して新品とは言えないその姿は、無垢な私の目にはただの“古いもの”にしか映らなかった。

それなのに、母はそれをとても大切に扱っていた。埃を丁寧に払って、いつも決まった場所に置き、どこか誇らしげに微笑んでいた。その様子を見て、子供ながらに疑問を抱いていた。なぜ、こんなものが母にとって“宝物”なのか。


時は流れ、私も母になった。母がそっと譲ってくれたそのアンティークホーローたちは、今、私の台所の窓辺に並んでいる。そして今ならわかる。母がそれらを、どれほど深く、どれほど優しく愛していたのか。

このキャニスターたちは、単なる入れ物ではない。“Sucre”(砂糖)、“Farine”(小麦粉)、“Café”(コーヒー)、“Chicorée”(チコリ)……フランス語で描かれたその名前たちは、まるで台所のささやきのようだった。時を越えてなお、そのフォルムは美しく、少しかすれた文字さえも温かみをもって語りかけてくる。それぞれの缶には、それぞれの“時”が詰まっている。


失恋して、泣きながら母の作ったコーヒーを飲んだ日。結婚が決まり、母と一緒にケーキを焼いた日。そして、新しい命を宿したことを報告したあの日……キャニスターたちは、何も言わず、ただ静かにそこに在り続けた。

何十年も前のフランスのどこかで生まれ、母の手に渡り、そして私のもとへとやってきた。彼らは“もの”でありながら、確かに“記憶”を持っているように思える。私の人生の節目ごとに、その場にいてくれたのだから。

そして今日——私は、娘の二十歳の誕生日に、このキャニスターたちを贈ろうとしている。私がかつて母に問うたように、きっと娘も思うだろう。「なんで、こんな古い入れ物を?」と。


でも、それでいい。今はまだわからなくていい。やがて彼女の人生の中で、このホーローたちがそっと寄り添い、その静かな佇まいが、いかに深く心を支えてくれるか、気づく日が来るのだから。


——これは、ただのアンティークではない。これは、母から娘へと紡がれる、愛のかたち。100年を超える時を超え、物語は続いてゆく。

私の手を離れても、きっとまた、新しい歴史がこのキャニスターたちに宿る。そう信じて、私は今日、そっとラッピングをする。赤と白のしま模様が、ほんの少しだけ誇らしげに見えた。


あとがき

ホーローという素材は、ただの器ではありません。それは、時をまとった静かな語り手です。20世紀初頭のフランスの家庭で、丁寧に、そして誇りをもって使われたこのホーロー製品たちは、実に100年を超える命を今に宿し、いまなお美しく息づいています。

私はこの小さな物語を綴ることで、彼らが生きた「時」と、私たちが生きる「今」、そしてこれからやってくる「未来」とを、一本の糸のように紡いでみたいと思いました。大切に使われ続けてきたからこそ、彼らはここにいます。そして今、この国——日本で、新しい誰かの手に渡ろうとしているのです。それはもう、ちいさな奇跡と呼んでいいのではないでしょうか。

このホーローたちが、時代を越えてあなたのもとへ辿り着いたとき、私自身もまた「時の番人」のような気持ちになるのです。少し大げさに聞こえるかもしれませんが、でも本心です。

次の物語を紡ぐのは、あなたです。どんな日常のなかにも、確かに宿る美しさがあります。ホーローたちがまた新しい100年を歩めるよう、どうかその手で、そっと受けとめてあげてください。

読んでくださって、本当にありがとうございました。

 
 
 
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